新スウェーデン人のヒロイン
「e−とらんす」海外レポート、2000年11月号掲載

シドニーオリンピックを目前にした7月、リュドミラ・エンクヴィスト選手が引退した。
前回のアトランタでは百メートル障害で金メダルを取った彼女は30代も半ばで脂が乗り切っているのか、
ここ数年はあらゆる国際大会で軒並み優勝し、今回のオリンピックでももちろん金を狙っていた。
ところが1年前乳癌に犯されていることがわかり、トレーニングに加えて病気治療という重い荷を背負う
ことになった。
ロシア出身のリュドミラは、スウェーデン人コーチと再婚してこの新しい祖国にやって来てまだほんの
7年くらいだ。彼女はロシア時代からもうすでに世界の一流陸上選手のひとりで、東京で行われた91年の
世界陸上でも優勝している。
現在彼女ほどスウェーデン大衆に人気がある外国出身の有名人は、ドイツ出身のシルビア王妃ぐらいではないか。
リュドミラは圧倒的強さと雰囲気の明るさに加え、スウェーデン語が上手く、特に新しい祖国に見せる徹底した
愛国心が人々に受けている。彼女と年齢もスウェーデンに来た時期も近いせいで、私は個人的にリュドミラには
親近感を抱いている。しかし・・・国際大会前彼女がスウェーデンのナショナルカラーである黄色と水色の
マニキュアを塗り自分がスウェーデン人であることをアピールするのを目にするたびに、私はなぜかとても居心地が
悪くなってしまうのだ。はっきりいって私はあんなふうにはできないだろうと思うから。私は国籍を変えていない。
そして何年住んでもこの国に祖国以上の愛着を抱くことはできないと思う。黄色と水色の国旗を掲げうれしげに
ウィニングランをするリュドミラを見るたび、私はどこに住んでいてもやっぱり日本以外に愛国心は持てないと再確認する。
もちろん幼少時から厳しいトレーニングを積み、国家代表として走ってきた彼女だからこその複雑な思いが心中にあるのだろう。
世界陸上の金メダルにもロシアは全く無関心だったとか、元コーチのロシア人前夫がドーピングを薦めたとか・・・。
病気治癒に専念するためシドニーをあきらめざるを得なかったリュドミラはどんなにか無念だったろう。だがテレビで爽やかな
笑顔を見せスウェーデン語で引退宣言をする彼女は、もう新しい戦いに向けて走り出している。リュドミラの出ないシドニー
オリンピックは私にとって寂しいような、でもちょっと気が休まるような変な感じだ。
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その後リュドミラはボブスレー選手に転身し、2002年の冬季五輪を目指した。ところがそのオリンピックを目前にした
2001年の秋ドーピングが発覚し、彼女は一瞬にしてスポーツ界スターの座から転落した。
あれほど彼女を新スウェーデン人のスーパーヒロインともてはやしていたマスコミは、手の平を返した
ように批判的な記事で叩き始めた。
私の元クラスメートだった、スウェーデン生まれのトルコ人女性は言った。
「私はリュドミラを好きだったことは一度もないわ。私はスウェーデン人、スウェーデンのため、なんて
言っちゃって、本当は何もかもお金のためじゃないの」
私は別にリュドミラファンではなかったが、今彼女のことを考えると悲しい。
ある外国系スウェーデン人が言った。「俺たちはここでいいことをしたらスウェーデン人と呼ばれ、悪いことを
したらスウェーデンの○×人と呼ばれるのさ」
暴露雑誌に載っている、望遠で撮られたらしいリュドミラの近景を、私は見たくない。
(さよこ)

