ヒューマニズムの考察
「翻訳の世界」海外レポート1999年4月号掲載

電車に乗っているとまたあの男がやってきた。汚く伸ばした黒い髪に穴の開いた髑髏のTシャツ、耳や鼻にいくつもぶら下がっているピアス。
「ホームレスなんだ。食べるものもない。いくらか恵んでくれないか」
たいていの人は視線を新聞や窓の外に向け、無視をきめこむ。まだ三十歳前後とおぼしきそのホームレスは次の席に移る。そして同じ台詞を繰り返す。乗客の反応はよくない。それもそのはず、その男は一年以上も前から毎日のように同じ路線の電車で物乞いを続けているのだ。人々は彼に飽きてしまっている。彼らは心の中でこう思っているはずだ。
「どうしておまえは自分の生活を変えようとしないんだ。この国には生活保護もあれば無料で職業訓練が受けられる学校もたくさんある。その気になれば簡単に変えることができるはずだ」
男は私の席にやって来た。私は勇気を奮って、口にしてみた。
「社会保障の補助金を受けにいけばいいじゃない。私は少ない収入の中から30%以上もの税金を払っているんだから、つまり私はもう国を通じてあなたのために寄付はしているってことよ。あなたはそれを受け取りにいくだけでいいの。
だいたい、こんなところで小銭を恵んでもらったってたいした収入にはならないでしょう。寒い日に朝から電車で物乞いするくらいなら、補助金をもらって家で寝ていた方がいいじゃない」
「ちぇっ、たったあれっぽっちの補助金で生きていけるかい。それに俺は社会の世話にならず自分で生きていたいのさ」
男は吐き出すようにそう言って、次の席へと移っていった。
電車の中の乞食は、新聞の投書欄でしょっちゅう論争の種になっている。乗務員が定期的にチェックして乞食を追い払うべきだという意見もあれば、乗客は乞食に対して冷たすぎる、ヒューマニズムはどこへいったのだ、という内容もある。
中には、あの乞食たちに恵んだ金は食物ではなく麻薬やアルコールに使われるのだから、恵まない方が彼らのためになるのだという説もある。
この福祉国家にあの乞食。機会さえあれば国の補助金(一定の条件を満たせば、失業手当、住宅手当、学費手当等が国から支給される)をもらって高い税金の元をとってやろうと思っている人がほとんどのこの国に、「自分の力で生きて生きたい」なんて突然思いついた理屈にしてもなかなか泣かせる台詞だ。
先日、黒澤明監督の「赤ひげ」を見た。この映画の中で三船演じる医者赤ひげに助けられた娘が、子供の泥棒を諭す場面がある。泥棒でもしなきゃ生きていけないと言う子供に対し、娘は乞食をすることを薦める。実際、この娘は橋の上にむしろを敷いて乞食をし、自分が壊した病院の茶碗を弁償するのである。
泥棒より乞食の方がまし、か。
そう考えると確かに、スリや強盗に遭うよりは自分の意志で小銭を恵んだ方がずっとずっと気分がいい。しかし新聞によると、地下鉄の中で乞食に金銭を恵むのは近々禁止になるということだ。
黒澤のヒューマニズムを人々が忘れないことを祈る。

