日月潭 - 斗六<2月21、22日>
ランタン第28,29号(2000年6,7月)

親切な運転手のおかげで助かったが、本当なら決めたすべての行程を自転車で走りたかった。しかしツーリングにはハプニングはつきものなのでしかたない。そう納得して地図で現在位置を確認し、気を取り直して自転車の旅を再開した。今日の目的地は名勝、日月潭(リーユエタン)である。周囲30km・水深30mの天然湖で、時間・場所そして天候によって姿を変えるロマンチックな景観が昔から人気なのだそうだ。
途中昼食を取った土産物屋にいた娘は日本語が上手だった。高雄で日本語通訳をしていたお父さんから習った他はすべて自習の「耳学問」だという。数え年(台湾では今でも数えの年をいうときがある)で26歳の彼女は小泉今日子のファンだといった。私たちが思っていた以上に、台湾の若者は現代の日本文化についてよく知っていた。しかしこれは日本とアメリカに当てはめてみればよくわかることかもしれない。アメリカの人気歌手で日本でも有名な人はたくさんいる。だがその逆はあまりない。私たちが知っていた台湾の歌手というと欧陽フィフィとテレサ・テンくらいか。台湾の人々は日本のテレビ番組を、録画ビデオや後には衛星放送によってしょっちゅう見ており、日本の風俗や流行をほぼリアルタイムで知っているのだった。それにしてもその娘の「耳学問日本語」に比べ、大学で学んだ私の中国語があまりにもおそまつなことはまったく恥だった。
そこから日月潭はすぐだった。宿泊所はなかなか決まらず、結局作りかけの旅社に泊まることになった。アメ横のような土産物屋が並ぶ先に船着場があり、中華民国の国旗を立てた小さな船がいっぱい浮かんでいた。その辺りにも日本語の上手なおじさんがいたのは日本人観光客がよく来るからだろうか。
夜は食堂で「三鮮炒飯」という、カニ・タコ・ナマコを具にした油っこいチャーハンを食べた。海鮮も油系も好きな私には不気味な上にも楽しめる料理だったが、人によってはゲッと思う代物だろう。三島由紀夫の「仮面の告白」の中に、主人公が戦時中動員され働いていた工場で、台湾出身の少年らが機械油で料理を作るのを見て驚くシーンがあるが、それほどこちらの人にとって油分は料理になくてはならぬものなのだろう。
旅行ガイドには日月潭では早起きしないと意味がないと書いてあったが、私たちはまた昨夜布団の中で人生論? をいつまでも話し込んでいたので出発はいつもより30分も遅く、9時半を過ぎてしまった。このところずっと半袖で走れるくらい天気がよい。湖畔では蝉が鳴いている。湖の周囲を走って昼過ぎに次の目的地水里に向かった。あちらこちらにバナナ畑が広がり、すっかり熱帯気分だ。しかし南に向かうに従って人間はだんだん乱暴になるような気がした。トラックは以前のように避けてくれないし、「加油(ジャーヨウ、がんばれの意)」の掛け声も減った。クラクションの音もひどい。
バナナ畑の中には時折トマト畑も見かけた。トラックに満載された青いトマトのおいしそうなこと!! 途中畑の中に忽然とあったバナナ屋さんで休憩をした。店番をしていた足の悪いおじさんは、仙人のような枯れた、でも少しもの悲しげな人だった。いろいろ話をした後私たちに干しバナナをくれ、出発するときに「慢慢走(マンマンゾウ)」と何度も言った。直訳すると「ゆっくり行きなさい」という意味だが、そんなにゆっくりもしていられないんだがね、と思った。でも実際のこのフレーズの訳は「気をつけて」の方が正しかろう。
(さよこ)

