高雄―墾丁 <2月28日>ランタン第36,37号(2000年12月、2001年1月)

その前の年、つまり1986年のことだが私は春休みに中
国の上海外国語学院に短期留学した。この時上海から南
京まで一泊二日の列車旅行をしたのだが、その帰りの列
車で出会ったのが台湾出身の曲さんという60代とおぼ
しき男性だった。
列車には軟座(ルワンツォ)と硬座(インツォ)という
二種類の車両があり外国人である私達はファーストクラ
スである軟座に高い料金を払って乗ることに決められて
いた。軟座専用の待合室には外国人と、社会的地位が高
いと思われる中国人だけが座っていた。曲さんは完璧な
日本語で私達に話しかけてきた。日本統治時代の台湾に
育ち、東京の学校で学び電気技師になり、戦時中中国に
やって来て戦後台湾に戻ることができなくなったのだそ
うだ。今は中国で家庭を築き安定した生活をおくってい
るものの、台湾の家族とは交流が禁じられているのが悲
しい・・・そんな話を南京から上海に向かう夜行列車で
聞いたのである。
今回台湾へ行くにあたり、私は中国の曲さんに手紙を出
し、大胆にも高雄に住む弟さんへのメッセンジャーを申
し出たのである。
とはいえこの頃まだ台湾人が大陸の家族と交流するのは
禁じられていたのである。もし怪しい者だと見咎められ、
身体検査されて曲さんの弟さんへの手紙が出てきたらど
うしよう。弟さんはどんな災難を被ることになるか・・・
ツーリングの道中も私とランポウはときどき思い出した
ようにその話をしていた。
しかし曲さんの弟宅を探し出す前に、私達はまず台湾島
の南端ウォーランピー岬を極めなくてはならない。時間
節約のため明日は途中まで輪行する。この旅行も遂に佳
境に入った。
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前日からとても風が強く寒い。南国らしくないドンヨリ
とした天気・・・日本では雪かもしれない、それともこ
れが春一番なのだろうか・・・と思いつつウィンドブレ
ーカーをしっかり着込み、1泊分の荷物を自転車に載せ
てホテルを出発。途中まで輪行し、私たちの最後の目的
地である、台湾島最南端の岬ウォーランピーがある墾丁
公園を目指して走った。とはいえ天気の悪さのせいか今
ひとつ気分はのらない。朝、高雄の大韓航空オフィスで
帰路のリコンファームをしたとき警備員にいろいろ質問
されたことが気になっているのかも?私たちは二人とも
中国大陸に行ったことがありそれがパスポートにもちゃ
んと記載されているのだから「ひょっとしてホテルにも
私服警官がいたかもね」などとランポウとひそひそ話し
た。ガジュマロの木が並び、いままでとはまた一味違う
色をした海を横目に、強い横風の中をひた走った。南下
するごとに風は今までになく強くなり、ふとボンヤリし
ていたら吹き飛ばされ思わず自転車を倒してしまった。
その夜宿泊の墾丁青年活動中心は台湾の農家をかたどっ
た素敵な作りだった。まず表に大きな門があり、中には
平屋がコの字型に集まっていて広い中庭を囲んでいる。
さて、大学生が長期の海外旅行をするのに、一人旅では
不安だから友達と二人で旅行し、結果お互いとても仲が
悪くなってしまったというのはよく聞く話である。旅行
中、しかも海外というのは特殊な環境だと言える。極度
のプレッシャーを強いられた状況では普段の生活では考
えられないような心理状態に陥るものだ。ベテラン旅行
添乗員からも団体旅行中いかに皆の精神を平常に保つの
に骨が折れるかという話を聞かされることでもわかる。
ところがこの困難な旅行中私たちはほとんど喧嘩をする
ことがなかった。これは短気で我がまま、基本的に一人
旅を好む私にしては奇跡的なことである。たぶんその理
由はこの旅行の主旨が物見遊山ではなく「サイクリング」
だったからだと思う。
(さよこ)

