墾丁、そして高雄 <3月1,2日>ランタン第37,38号(2001年2,3月)

朝目覚めると外で国歌が鳴り響いていた。庭ではユース
の宿泊客が円になり、歌が終わると回れ右をしていた。
やっぱりここは外国なのだ。
ウォーランピーは台湾島最南端の岬だ。遂にここまで来
てしまったんだなーという感激は今ひとつわかなかった
けれど、前日とはうって変わった天気のよさ。走りにく
い横風は相変わらずだが海の色はすばらしい。道路脇に
放牧されたヤギ、牛、ニワトリ。道路を車やバイクがフ
ルスピートで駆け抜けていく。夏休みをひとつ得した気
分だ。
墾丁公園まで最後の坂がきつかった。公園は見て回るだ
けで2時間はかかると言われていたが時間がないので観
海楼を見ただけで帰った。ここで一番印象に残ったのは
見事な景色ではなく、公園のあちこちから私たちに声を
かけてくる少数民族らしき物売りの人々だった。年配の
女性のみならず、色が浅黒く大きな目をした子供までが
「オジョーチャン、ドウデスカ」と安っぽい民芸品を手
に日本語で話しかけてくる。買う気のない私たちはいた
たまれない気分になった。
自転車でファンリャオ駅まで走り、そこから高雄まで
輪行した。駅には日本語のとても上手な駅長さんがいて
話が弾んだ。「日本にぜひ行ってみたい。噂に聞くすばら
しい交通秩序を一度見てみたい」と駅長さんは言った。
他にも駅や列車の中で日本語の話せる年配の人たちに会
った。中でも一人のおじさんに「日本のどこから来た」
とたずねられ九州と答えたとき「クマソの子孫だな」と
言われたのには驚いた。
一昨日も泊まった高雄のホテルにたどり着き、もうこ
れでサイクリングは終わったのだと思うと不思議だった。
全走行距離は720km。実感としてはもっと長かったよう
な気がするが、もう走らなくていいなんて信じられない。
私たちは高雄市にあった不二家でケーキを買い、お祝
いの乾杯をした。
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サイクリングの日程が終了した翌日、ランポウは一人列
車で台北に戻り、私は一人で高雄にもう二泊することに
した。ランポウが急いで台北へ向かった理由は、中国学
科の後輩で彼女のボーイフレンドでもある四角顔君が台
湾にやってくるのを出迎えるためだった。なんでも四角
顔君の来台の主目的は「将来中国拳法で身を立てること
ができるかどうか見極めるため」だそうだった。
一人になった私は例の手紙を持って曲さんの弟宅を訪ね
た。弟さんの家は市内の目抜き通りにある、土木事務所
のような所だった。おそるおそる中をのぞいてみると、
整頓された事務所に中年の男性が作業服を着て座ってい
た。弟さんの名前を言うと自分がそうだと答えた。仕事
中のようだったので恐縮したが、私は簡単に事情を説明
し手紙を渡した。弟さんは事務椅子に腰掛け厳しい顔で
その便箋一枚に書かれた内容を読んだ。読み終わった後
も笑顔はなく、難しい顔でただありがとうと言った。最
後に私はどこのホテルに泊まっているのかたずねるので
正直に名前を言った。しかし結局それから弟さんからは
何の連絡もなかった。
私は何かとても迷惑なことをしてしまったのではないか
と思い悩んだ。しかし台湾から中国へ親戚訪問や旅行が
解禁されたのはそれからほんの1、2年後のことである。
曲さん兄弟も香港で涙の対面ができたと、その後曲さん
からもらった手紙に書いてあった。
(さよこ)

