台北へ再び,
そしてさらば台湾<3月3、4、5日>ランタン第41、42号(2001年4,5月)

この日私は一人列車に乗ってランポウたちの待つ台北に
戻った。このとき出会ったのが英語の上手な30代前半
の男性、林さんだった。輪講した自転車の袋を足元に置
いていた私は隣に座ることになった林さんに恐縮し断り
を述べたが、彼は「ノープロブレム」と笑いながら私の
輪行袋を足で蹴り座ったのだった。軽量化されている自
転車の車体はデリケートなのでひやひやした。列車に乗
っている間中、林さんは私に中国語、台湾語、英語でい
ろいろな単語を教えてくれた。彼は大学院で生物学を収
めたが、今は「お金のため」医者になることを志してい
た。今年大学の医学部を受験する、もしだめだったらア
メリカへ行ってむこうの医学部を受験する。なんでもア
メリカでは外国人なら入りやすい医大があるのだそうだ。
30過ぎてからまた一から新しい学問を始めるなんて大
変そうだと思ったが林さんは明るくやる気に満ちていた。
このときの出会いから4年後、私たちはまた台北で再会
した。私は台湾で中国語学習の傍ら日本語を教え、彼は
医学部の夢破れ得意の語学を生かしてツアーコダクター
をしていた。英語ばかりか日本語もできるようになって
いた彼はかなりいい収入を得ているようだった。何度か
のお見合いで出会った女性と結婚し幸せそうだった。
それからまた私たちは音信不通の年月が何年か続いた。
一昨年の台湾中部地震のとき、私は彼の実家にお見舞い
のハガキを出した。私からの来信に驚いた様子で林さん
からは即座にメールがあった。奥さんとは「お金のため」
離別したこと、一時はガンに悩まされていたこと。今は
ツアコンの仕事を健康が許す程度にやっている。思えば
私たちが出会ってから15年以上もの月日が経ったのだ、
お互い人生には色々な事があって然るべきなのだ。だが
私の頭の中にはもう、希望に満ちたあの日の林さんしか
残っていない。
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台北に戻ってまた劉さん宅に一泊させてもらった。
ここには一足先に戻っていたランポウと共にそのボーイフレンド
の四角顔君もいた。四角顔君は中国語が上手で趣味の中国拳法を
かなり熱心にやっていたが、中国拳法で身を立てることは断念した
らしかった。なんでも今回訪ねた台湾の高名な先生が「中国拳法で
食べていくにはいわゆる<闇の世界>の人間ともつきあっていかな
くてはならない」とおっしゃったからだそうだ。私は内心、高慢で
皮肉屋な四角顔君のことをあまり好んでいなかったので「台湾やくざ
のコワーイおじさんたちに可愛がってもらえばいいのに」と思ったが
口には出さなかった。
翌朝、ついに今回旅行の最後の朝がやってきた。劉さんと四角顔君は
またまた輪行袋に詰め込まれた私たちの自転車運びを手伝いがてら
空港まで送ってくれた。ボーディングカードを受け取り、出国口で
お世話になった劉さんに最後のお礼を言った。その傍らでは恋人同士が
熱く見つめ合い涙を流さんばかりに別れを惜しんでいる。あと一ヶ月も
すりゃあ、また学校で会えるだろうが!!と冷たい視線を向けた、
その向こうからどこかで見たような顔が近づいてくる・・・
青草くんだ!!
青草くんはあのとき世間話の中で話した(かもしれない)私たちの
帰国日をちゃんと覚えていたのだ。頼みもしないのになんという律儀な・・・。
コノヒトダレ?と言いたげな四角顔君たちを後に、私たちはまた遠回りな
大韓航空で帰国すべく出国ゲートへ歩を進めた。
日記に記された私とランポウの感想を述べてこの旅行記を終わりたい。
「サイクリングは孤独である。走っていたら次々と自分の性格の
悪い所がわかってくる。気を紛らわせるものもなく自分と対峙する
のは苦しい。だがサイクリングをしたことによって悲観的に傾きがちな
人間になることから救われたような気がする」
その後… 就職後すぐランポウは四角顔君と別れた。そのかわり
趣味でトライアスロンの選手になり、そのクラブで知り合った人と
結婚したそうだ。彼女がトライアスロンに興味をもったのはこの自転車
旅行がきっかけだそうだから、この旅行が彼女の人生を変えたと言えよう。
山本さんと劉さんは結婚したそうだ。
私はと言えばこの旅行以来サイクリングどころか自転車にもほとんど
乗っていない。でも子供がもう少し大きくなったら、
必ずもう一度自転車で旅行してみたい。これが目下の夢のひとつである。
青草くんは・・・青草くんは今どうしているんだろう?
この旅行記はこれでお終いです。
最後まで読んでくださった皆さん、どうもありがとう。
(さよこ)
