女子大生さよこ (3)(4)

ランタン第5、6号(1999年7月11、25日)掲載
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このサイクリング部に入っていたおかげで私は九州はほぼ隈なく、あと南は沖縄から北は北海道まで自分の足で旅行することができた。(もう一度書くが沖縄まで自転車で走って行けたわけではなく、自分の自転車を輪行袋に詰めて途中までは公共の交通機関を利用したのだ)バイクのツーリングにハマっている人にも覚えがあると思うが、一度どこかに旅行を始めると味をしめるとでも言うのだろうか、もっともっといろいろな所へ行きたくなってしまうのである。

またこのサークルでは他大学のサイクリング部との交流もさかんだったので、こちらの方でも楽しい思い出もたくさんある。毎年春、夏休みに西日本サイクリング連盟に加盟している九州の各大学持ち回りで「交歓会」という合同ツーリングを実施していた。その中で鹿児島大学五回生Mさん(男性)という大先輩と出会った。このMさんは日本国内のみならず、台湾やアメリカ西海岸も自転車で回ったという筋金入りのサイクリストであった。この方のお話を聞いたのが「へー台湾を自転車で… そういうのもありか」という思い付きの始まりであった。後にこのMさんは青年海外協力隊の一員としてどこかの発展途上国で物理を教えることになったと聞いた。今頃は鹿児島か熊本で教師をされているかもしれない。もしMさんに心当たりがある方はぜひご一報を。

サイクリングのことばかり書いてしまったが、私が台湾を選んだもうひとつの大きな理由は私が外国語学部中国学科の学生だったことによる。とはいえサイクリングとツーリング費用を稼ぐためのバイトに明け暮れていたため勉強の方はまったく疎かで、学生時代読み書きはまだしも会話は全然できなかった。今の自分ならわかるのだが、会話というのは決して自分一人で勉強できるものではない。実際に中国人に会ってみないと中国語を口から出してみようとすら思えないものだ。この台湾旅行を終えての私の大きな収穫のひとつは「中国語をもっと勉強したい」という本当のやる気が湧いてきたことだった。もっとも卒業旅行のときにやっとそんなことを思っても遅すぎることこの上ないのだが。

今でこそ大学生の海外旅行や短期留学はまったく珍しいことではないが、私が大学生だった15−6年前はちょうどそのトレンドのはしりのような時代だった。自分が出た大学のしかも昔のことを批判してもしょうがないが、中国学科と名がつくからにはもっと在日の中国人留学生や中国の学生と交流があってもよさそうなものだったのに、それらしい機会は全然なかった。公立大学のせいか、都会の大きな私立大学のように学生を惹きつけるセールスポイント(大々的な交換留学生制度など)を作ろうという努力も学校側になかったし、当時は中国の学生が日本に留学するのは今よりずっと難しく留学生の数が少なかったことにもよるのだろう。海外旅行も私のような貧乏な学生には高嶺の花だったが3回生の頃から急激な円高が始まり、それが可能になった。

私の初めての外国体験は3回生から4回生に上がるときの春休み、中国は上海外国語学院への3週間の短期留学だった。このときは本当につらかった。学校について最初の日、中国人の女教授に「あなたは中国語を専攻しているのにどうしてそんなにしゃべれないの」と言われてしまったのである。がーん。

クラス分けで入れられたクラスでの授業はうんざりするほど簡単なことばかり勉強させられる。これもすべて私が自分の思うことを口頭で表現できないせいだった。ところが… それからたった数日の滞在の後、私の口からはどんどん中国語の単語や文章が出て来始めた。これも「簡単な中国語」を一日何時間もまとめて耳にインプットすることができたせいだと思う。耳から入ってこない言葉は口から出すこともできない。これはその後他の外国語を勉強するときにも実感したことだ。

とにかく例の女教授には「進歩が早い」と大変褒められ(といっても最初がひどすぎたせいだが)、3週間の滞在を終えて帰国するときには我ながら進歩のシの字が垣間見えたような気がした。こんな私がその数年後には中国語で日本語を教えたり、普段はスウェーデン語で難なく生活したりできるようになったのだから当時から考えると摩訶不思議。今語学の劣等生という大学生の皆さん、恥ずかしがることないですよ。要はいかにしてしゃべり始めるきっかけを見つけるということかも。
(さよこ)


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