台北 ― 烏来 ― 宜蘭<2月14、15日>
ランタン第11、12号(1999年10月24日、11月7日)掲載

台北 ― 烏来(2月14日)
予想はしていたことだが台北市内を走るのは本当に恐ろしかった。まず何と言っても慣れないのが「右側通行」だ。その上交通量の多さと車のスピードときたら、日本の比ではない。交通弱者は完全無視。さっそく「… よく事故が起きないものだ」との感想をもつに到る。
台湾では車よりオートバイが幅をきかせている。信号が青になると大小のバイクが鉄騎兵のようにドドドッと突進する。左側の肩が緊張する。やっぱり右側通行で走り慣れていないせいだ。ランポウのペースに合わせるため、彼女が前を走り私が後についていくことにした。
興味をひかれたのは、バイクに乗った人々ほとんどがマスクを被っていることである。風邪をひいたときに使うあの白いマスクだ。後から聞いた話では「台湾の排気ガスはすごいから」マスクを使わざるおえないのだそうだ。うーむ。この頃はヘルメット着用は義務づけられておらず、皆ノーヘルだった。その上バイクに乗るのに人数制限もないらしかった。お父さんが運転し、後ろにお母さんと大きい子が乗り、前のカゴには小さい子が乗る、という一家総出で走っているカブもあった。
これは物の本で読んだことだが、台湾人はとても運動神経のよい国民なのだそうだ。中国大陸からやって来た福建人と、台湾島に現住する民族の血が長い歴史の中で交じり合った結果なのだそうである。台湾出身のスポーツ選手といえばテニスのマイケル・チャンを始め、日本のプロ野球界にも活躍している選手はたくさんいる。そこまで考えなくても、老若男女問わず安定の悪そうな古いバイクにお尻を申し訳程度に乗せ、急停車するバスやタクシーをひらりとかわしてかっ飛んでいく台湾人を見ただけで「それは言えてるかも… 」と納得できた。
烏来には大きな遊園地がある。しかし子供でない限りあまり魅力はない。宿は行き当たりばったりに見つけることにしていたが、この日泊まった国際飯店という宿屋(ホテルではない、宿屋という名前がぴったり)には日本語の上手なおばちゃんがいた。
烏来 ― 宜蘭(2月15日)
烏来の国際飯店のおばさんは親切な人だった。夕方私たちがあたりを散歩し日用品を買ってくると「それいくらだった」と訊ねるので正直に値段を言った。するとおばさんは「ああ、よかった」と笑顔になった。観光客、特に日本人と見ると高めの値段をふっかける店主がいるからだそうだ。そういう話は他の日本人からも聞いたことがあった。観光地で買ったジュースやお菓子が、日本で買うよりはるかに高かったとか。でも私たちはこの旅行中そんな目に遭ったことはほとんどなかった。遭ってもその時気がつかなかっただけかもしれないが、たぶん私たちがうら若く可愛い?女の子だから皆親切だったのではないか、と勝手に思い込んでいる。
しかしうら若く可愛いことがプラスに働くこともあれば逆にマイナスになることもあった。この日の目的地は宜蘭という市だった。台北県から宜蘭県との県境までがかなりきつい上りだった。追い越して行く車はクラクションを鳴らし、時折「加油(ジャーヨウ)!」の声がかかる。油を加える、つまり「がんばれ」の意なのだが、日本語のがんばれとはちょっと使い方が異なる。「来週の試験がんばって」等にはあまり使われない。その場で何かしている人を応援する、どちらかというと「フレー、フレー」に近い。目を丸くして「ハオリーハイ」と叫ぶオバチャンもいた。この言葉は「すごい」の意もあるが、恐ろしいものを見たときの「ひどい、大変だ」にも使われるので、いったいどっちの意味で使っているのだろうと思うと苦しさの中おかしくもあった。
そのうち一台のライトバンが私たちの横にぴったりくっついて走るようになった。中には男性がたくさん乗っていて、私たちにしつこく話しかける。もし私たちが男ならここまでするだろうか? 女だと思ってバカにしてる?! 何か恐ろしいことが起きるのではないかと思い、とても心配になった。
一人の男性が私の方に向けて、自転車の絵がついた一枚のプログラムのようなものを指し示した。近辺で比較的大規模なロードレースが行われるらしい。どうやら彼らは私たちがそのレースに参加すると思ったようだ。違う、と言うとライトバンは走り去ったのでほっと胸をなで下ろした。応援してくれるのはありがたいが、急な上りを登っているときはしんどくて何を言われてもうるさく感じてしまうのだった。
県境を越えるとそこからはうれしい下りだ。目の前に宜蘭の美しい水田が広がったときは感激した。田の表面が薄灰色の空を映している。二月なのにもう田植えが始まっていたのだ。
(さよこ)

