南アウ<2月16日>
ランタン第15、16号(1999年12月19日、2000年1月16日)掲載
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南アウ(2月16日)


青草くんは年の頃は二十歳、その頃台湾の若者の間でトレンド?だったロスマンズ仕様のホンダの小型二輪に乗っていた。トンネル番のおじさんとお喋りをしていた青草くんは私たちに非常に興味を持ち話しかけて来た。花蓮の家に帰る途中だという彼は日本に憧れていた。前にも東京の山田荘というところに住むナントカくんという日本人学生と知り合いになったことがあると言っていた。照明のない暗いトンネルの中を、頼みもしないのに彼は私たちの傍に並んで走り、自分のライトで行く先を照らしてくれた。

トンネルを出て坂を下ると、そこは南アウという小さな町だった。次の町まではかなりあるので、ここで宿をとった方がいいという青草くんのアドバイスに従って、私たちは安通旅社という名の、火事があったら逃げられないような安宿に泊まることにした。

ランポウは慣れないサイクリングにさすがに疲れたのか、部屋で昼寝をするというので、私はその辺りを散歩に出た。青草くんがまだ外にいたので、二人で河原に腰掛け缶コーヒーを飲みながら世間話をした。河原には野生の猿や雉が遊んでいた。煮込みうどんのように濃い顔をした青草くんの、お母さんは山地人でお父さんは広東省から来たと言った。

台湾にはおおざっぱに分けて三種類の人たちが住んでいる。まずずっと昔から台湾島に住んでいる先住民族で、9種族に大別される高山族(あちらの人は山地人と呼んでいた)、清朝以前に福建省や広東省から渡って来た中国人(本省人)、第二次大戦後まもなく国共内戦により渡ってきた中国人(外省人)。この三種類の人々が複雑に入り組みこの島に住んでいるのだ。外省人とは主に蒋介石率いる国民党の軍隊に所属していた人とその子孫である。このときの元軍人は「老兵(ラオビン)」と呼ばれていた。

夕方青草くんがバイクで自宅に向けて去った後、私は村のバス停で一人の老兵に出会った。

南アウは町というより小さな村の雰囲気だった。赤い夕焼けに暮れていく空、日本でいうと夏先に感じる、あの草の匂いの混じった温かい夕方の空気を感じながら宿へ向けてぶらぶら歩いていると、私の姿を一目見て土地の人間と違うとわかったのか、バス停のところで60歳くらいの男性に声をかけられた。

その男性は中国大陸、黒龍江省から来たと言った。家族は皆そちらに住んでいて、ここでは一人暮らしなのだそうだ。この人こそ「老兵」、国民党の兵士として蒋介石といっしょに台湾にやって来、そのまま大陸に帰れなくなった人の一人なのだった。

「自転車旅行? どうして台湾みたいな小さな島で? 走るんなら絶対中国大陸だよ。道なんてこことは比べ物にならないくらい広いし。そう、中国の東北地方には日本人もたくさん住んでいたよ。女性はそこの暮らしが気に入って、日本には帰りたくないって言ってたな」

彼は饒舌だった。自分の故郷がどんなにいいところかを、しきりに強調する。戦前日本人が中国の東北地方に満州国を作っていたことは私も知っている。だが敗戦の後どんな悲惨なことが起こったか、この人は知らないのだろうか? とちょっと不思議に思った。老兵は胸のポケットから手帳のようなものを取り出し、自分の写真を見せてくれた。照明写真のようだがずいぶんセピア色に褪せていて、顔立ちはそっくりだが青年の初々しさを残した男性がその中にいた。「ずいぶん昔の写真ではないですか」と私が正直な感想を言うと、彼は頬をさっと赤らめて私の手から写真を取り上げた。話を聞きながら私は何十年も家族と別れてこんな小さな村で一人暮らすのは恐ろしく寂しいだろうと感じた。「ホームシックになりませんか」と私がたずねると老兵はただ笑って手を振った。

(さよこ)


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