南アウ花蓮<2月17日>
ランタン第17、18号(2000年1月30日、2月13日)掲載
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南アウ − 花蓮(2月17日)


老兵と別れて安通旅社(「旅社」とはホテルの意、しかし旅社と名がつくホテルは一番格が低い安宿である)に戻ろうとしていると、私の前何メートルか先を歩いて同じ所に入る中年の男女がいた。比較的きちんとした身なりのこの二人は土地の人間のように見えなかったが、旅行カバンのようなものを下げているわけでもなかった。

二人は旅社のおばあさんに顔なじみのように軽く挨拶すると、黙ったまま私たちの隣の部屋に入っていった。私が部屋に帰ってみるとランポウはもう目を覚ましていた。薄暗い壁にゴキブリが這い回る、暗くうらびれた旅社だった。隣からはぼそぼそと男女の話し声が聞える。私はランポウにこれまであったことを話した。「その二人って一体なんだろう」「不倫かもねぇ?」
そう言って大笑いすると、隣の話し声はピタリと止んだ。しばらくしてまた二人は話し始めた。内容はわからないが、時々男が声を荒げたりしてなにやら深刻そうだった。

翌日はまた蘇花公路の続きを走る。昨日と同様、海辺の崖と一方通行の繰り返しである。和仁という町まで来ると昨日の青草くんがバイクの後ろに友達を乗せてやって来た。チーロンという名の友達は青草くんの故郷花蓮でコックをしていると言った。イヤリングをつけパーマをあてて、男のくせに爪にはマニキュアまでしている彼は日本のおしゃれな高校生のようだった。二人はラジカセまで持って来ていて、走りながら当時流行っていたマドンナやシンディ・ローパーの曲を流した。なにせ私がサイクリングを始めたのは体育会からなので、ツーリングには一種ストイックな精神性のようなものを持っていた。それは言葉にしなくてもランポウにははっきり伝わっていたと思う。ところが青草くん達にはその辺りは全然通じていないようで、彼らは若い女の子がただの物見遊山をちょっと変わった趣向でやってるだけ、ととらえているのかもしれなかった。


青草くん達はずっと横をついて来ていたのだが、途中で代わってやろうかと言い出した。バイクをチーロンが運転し、ランポウは自転車を青草くんに渡してそのバイクの後ろに乗った。私は久々に遠慮なく気合を入れて走った。青草くんはすぐにバテてしまい、チーロンと交代となった。

青草くんはバイクの燃費のことが心配だと言ってランポウを連れ先に花蓮へ行ってしまった。その後を私とチーロンの自転車は延々とまっすぐな道を走った。通りすがりにいろいろな人を見た。 三つの小隊に別れた兵隊さんのグループ、集団で茶色い服を着て歩き、道で人に会ったら這いつくばってお辞儀をする宗教団体の人々、自転車の後を追いかけて来た山地人の子供たち。

花蓮に着くと、青草くんのお兄さんが勤める看板屋で一服した。青草くんは親切に今夜泊まる旅社を紹介してくれた。昨日と同じ値段(二人で一部屋が400新台湾ドル。当時のレートで二千円くらい)なのに比べものにならないほど明るく清潔な部屋だった。

その後私たちは大衆食堂に行き、いっしょに「便当(ビェンダン)」と呼ばれるビュッフェ形式の食事をとった。合計二十個以上あるステンレスの入れ物のなかにそれぞれいろいろな種類の中華料理のおかずが入っている。それを白い発泡スチロールの入れ物に自由にとり、最後は重さで料金を払うというものだ。時々飛びまわる蝿のことさえ考えなければ、安い上にいろいろな野菜や肉が食べられ、満腹感もあり最高だ。この旅行中私たちはこの便当食堂にずいぶんお世話になった。

食事が終わると青草くんとチーロンは「公園に行こう」と言ってすたすたと歩き始めた。外はそろそろ暗くなり始めていた。しかも緑の茂った公園の奥へ奥へと入っていくのでこれはおかしい、と思い、私は勇気をふるって下手な中国語で「暗いところは怖いから行きたくない」と言った。すると青草くんとチーロンはくるりと踵を返し、私たちはさっきの食堂の方へ戻った。その後青草くんはランポウに「君たちは賢い。台湾の女の子ならフラフラとついて来るところだ」と言ったそうだ。なんじゃ、そりゃ?


(さよこ)


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