花蓮 ー タロコ<2月18日>
ランタン第19、20号(2000年2月27日、3月12日)掲載

花蓮 − タロコ (2月18日)
翌朝出発準備をしようとフロントに行ったらなんとまた青草くんがいた。何食わぬ顔してランポウに話しかける様子にはあきれてしまった。彼のことを親切な若者だと単純に信じていた私たちは裏切られた思いでブチ切れていたのである。昨日夕食を食べているとき青草くんはしきりと「ダーウーリン(台湾島中央にある山間部の峠)を越えて西海岸に出るなんて無茶な計画だよ。あそこは今まだ雪が積もっているんだから。それより僕たちと台東に行こう。気候がいいし、ずっとおもしろいよ」と誘っていた。そのしつこさに「どうする?」と私がランポウにたずねると、普段温和な彼女はぎっと目を吊り上げて「私たちは絶対ダーウーリンを越えるわ! そのためにここまで来たのよ!!」と中国語で言ったのである。
話はずいぶん飛んでしまうが、女性が一念発起して何かを成し遂げようとするとき、一番に足を引っ張りに来るのはオトコのような気がする。「そんなことしても何にもならないよ」「それより僕がもっと楽なことをさせてあげよう」ありがたいお言葉だが女性にだって自分の意志があるのである。以前ある方から「女性の留学が失敗する最大の原因はオトコ」だと聞いたことがある。もちろん留学先でボーイフレンドを作るなというわけではないが、そのせいで当初の目的を失ってはいけないのである。
この日の目的地はタロコという大理石が侵食されてできた大峡谷だった。
途中で東洋芸品館という大きなお土産物センターへ入った。駐車場には日本人観光客のバスも止まっており、中に入ると日本語があちこちから聞えた。豪華な大理石のカウンターには日本語が話せる台湾女性が赤い制服を着てたくさん並んでいた。ふらふら入って来た私たちを見た彼女らは最初不愛想だったが、話しかけられた日本語に負けずに中国語で答えていると、興味をそそられたのか周囲にあっという間に人垣ができた。少しお土産を買った後、彼女らは私たちに一階でお茶をご馳走してくれ、これから向かうダーウーリンの道路状況などについて親切に教えてくれたりした。
出発するときになると、この店員さんたちは何人もわざわざ外まで出て来て私たちを見送ってくれた。このお土産物センターでここまで歓迎を受けた日本人はいないのではないかと思われた。
しばらくして「東西横貫公路」と書かれた門に出くわした。中央山脈の北側を抜けて島の東西を結ぶ、標高差2500mを誇る山岳道路「東西横貫公路」。今回のツーリングの山場ともいえる台湾最高の峠、いよいよここから始まるのだ。
門の前で休憩していたら、タイヤル族らしきおばあさんが民族衣裳を着て歩いているのに出くわした。私たちは一緒に写真を撮ってもらい喜んでいたが、しばらくして同じく民族衣装を着た若い娘が私たちの方にやって来て「このおばあさんにモデル代として20元づつあげてください」と中国語で言う。なるほど、無目的にあたりをうろついていたわけではないのだ。おばあさんが自分で料金の請求をせず娘が出て来たのにはわけがある。たぶん台湾で「国語」と呼ばれている標準語の、北京語が話せないのだ。学校の授業やTV放送で使われる言葉はこの国語である。しかし台湾の言語分布図は大変複雑だ。中年以下の人はほとんど皆国語を解するが、年配の人には台湾語しかわからない人もいる。また、内省人でも客家系の人は客家語を解し、山地人は自分の民族の言葉を持っている。戦前の日本統治の名残か、台湾語と日本語しかわからないというお年寄りもいるそうだ。しかし外省人は国語しかわからない人がほとんどなので、台湾の人々は誰とどんな言語で話せばいいのか迷ってしまうことだろう。
タロコは日本人の団体旅行が必ず観光コースに入れるほどの景勝地である。
なるほど走ってみると気が遠くなるような年月をかけて侵食された大理石のトンネルは見事な自然の芸術品だった。
この日はタロコの奥、ティエンシャンにある「ティエンシャン青年活動中心」に宿泊した。「青年活動中心」とはユースホステルのことである。「中心」が日本でもよく使われる施設を表す英語「センター」の直訳になっているのだ。なんだかおもしろい。
ランポウはティエンシャンは九州の椎葉に似ていると言った。だが私には椎葉よりもっと険しい断崖絶壁が連なっているように見える。明日はここから東西横貫公路の頂点、ダーウーリンを目指すのだ。ああ、登りが怖い… 。
(さよこ)
